「過干渉」や「過保護」は子どもの考える力を奪う

不登校

どうも、我が子が今日も学校を休んだけど落ち込まないで過ごしてるテルです。

不登校の原因について調べていると、いつの間にか辿り着く言葉『過干渉』や『過保護』。

直したい。けれど、どうしたらよいのか、どう考えたらよいのかわからないそこのあなた。

同じ悩みを持っていたテルがアレコレ調べて実践してきた結果、たどり着いた答えをご紹介します。

それは親は縁の下の力持ちになるべきという考えです。

つまり、子どものことを信じて、親は見守り、いざという時のサポートに徹するということ。

さて、どういうことなのか。その辺を語っていきましょう。

私もがっつり過干渉ママでした。

何を隠そうテルもがっつり過干渉ママでした。

しかも、無自覚。

なぜなら「過干渉はよくない」という知識があり、それを意識して行動しているつもりだったから。

けれども、テルは面倒くさがり完璧主義効率重視な上に心配性。(←改めて見ると、過干渉の要素ばっかりですね………)

テル
テル

ああっ、そんなことをしたら危ないっ!

風邪ひかないように、早く服を着させなきゃ

外は寒いから温かい服を

お漏らししないように、トイレに行かせなきゃ

そんなことを言ったら喧嘩になるっ

勉強しないと将来が大変!

などなど、先回りしまくってました。

そして、アレコレ指示したり助けたりしても子どもが毎回素直にいうことを聞いてくれるわけもなく、イライラしたり、喧嘩になったり……。

テルの先回り、つまり過干渉って子どもを大事に思うと同時に自分の思った通りに行動させたいって思いの現れだったので、上手くいかないと疲れる疲れる……。

そして、今となっては過干渉が原因で我が子のテル美から考える力、ひいては生きる力・学校に登校する力を奪ってしまっていたと実感しています。

過干渉や過保護はどうしていけないの?

過干渉とは言葉の通り、行き過ぎた干渉。過保護とほぼ同意ですね。

過去のテルのように、子どもを思う愛情が空回りしている状態。

何故過干渉がいけないのか、具体例を先ほどのテルの思考からあげてみましょう。

ああっ、そんなことをしたら危ないっ!
怪我の先回り。危険を自分で察知できなくなる

風邪をひかないように、早く服を着させなきゃ
お風呂上りに裸でいたら冷えて体調を崩すとうい体験と、着替えに挑戦するチャンスを奪う

外は寒いから温かい服を
服選びで失敗することを先回りで阻止して、自分で服装について考える機会を奪っている(だからいつまで経っても自分で正しく選べない)

お漏らししないように、トイレに行かせなきゃ
自分でトイレに行くタイミングを見極める機会を奪う(お漏らしを繰り返す)

そんなことを言ったら喧嘩になるっ
先回りして仲裁すると、自分と相手の感情に向き合うチャンスを奪う

勉強しないと将来が大変!
勉強を強要すると、自分自身でどうして勉強が必要なのか真剣に考える機会を奪う

どうです? 過干渉や過保護って子どもの成長チャンス泥棒だと思いませんか?

命の危険があるときや、人に迷惑をかける時などはちゃんと親がフォローする必要があります

けれどもそれ以外場面では、親の手出しは子どもの成長の妨げとなる可能性が大です。

ぶっちゃけて言ってしまえば、テルは子どもが失敗するのは好きじゃありませんでした。

だって、泣かれるのも片付けも大変だから。

けれども、失敗するチャンスを奪うということは子どもが自分の頭で考えるチャンスも奪ってしまっていることに気が付きました。

これがいいことのはずはありませんよね。

日本社会が過干渉ぎみ

過干渉は親子だけの問題ではないです。

厳しい校則などは先生から生徒への過干渉。会社での行き過ぎた評価主義や規則も過干渉みたいなものです。

そして、過干渉な社会で育ってきた子どもはどういう大人になるのでしょう。

何が正しいのか自分で考えられない大人は指示待ち族になります。そして身近な人に評価されることだけをするようになります。

つまり、例え社会的には悪いことであっても上司や先輩が評価してくれるならやってしまうようになります。逆に評価されないことから価値を見出せなくなります。

さぼり癖のある先輩に気に入られるために一緒にさぼる。
直属の上司が上からの指示に従わなかったら、自分も従わない。
給料に反映されないサービスは面倒だからしない。

こういう人、たくさんいると思いません? かくいうテルも上司の顔色は気にしてしまうし、お給料が上がらないなら頑張れない……。大成できないタイプで間違いない(泣)

貰える報酬とその場限りの居心地の良さを優先して、何か大切なものを見逃している。こういうタイプの人は仕事がどんどんつまらなくなっていきます。

また、自分で考える力がない人は知らず知らずの内に犯罪に巻き込まれる可能性もあります。
しかも被害者と加害者、どちらになるかわかりません。

過干渉や過保護が招く結果は思っている以上にシビアです。

失敗はチャンス!

さて、自分の過干渉に気が付いたら次のステップ。ここからは過干渉をやめるための考え方をご紹介。

一つ目のポイントは失敗を恐れないこと!

危なっかしいわが子を見て、手助けしたくなるのは親として当然です。

「風邪をひかせたり、怪我をするような状態を放置するわけにはいかない!」と思ってしまうそこのあなた。

でも、子どもってこっちの手出しに関係なく風邪もひくし怪我もしますよね。

だったら、自分が見守っている時くらいは「こんなことをしていたら危ないんだ!」と子どもが自覚できるチャンスにしてあげてもいいんじゃないですかね。

勉強に関してもそうです。「勉強しろ!」と口うるさく言うのではなく、勉強しなかったらテストで酷い点を取ったという経験をしたほうが危機感が募って、勉強に対するやる気は自然とアップすると思いませんか。

失敗は悪いことではありません。

失敗したということは挑戦したということです。

だから親は見守り、ことが起こった後に対処します。そして、そこでしっかり子ども自身に何故失敗したのか考えさせながら、挑戦したことを褒め、もし落ち込んでいたら慰めてあげる。

そういう流れが理想的です。

手間は後回し!

二つ目のポイントは心の余裕がなくて、手間がかかる前に対処したくなってしまうママ向けです。

それはかかる手間を後回しにすること。

この考え方、思った以上に心が楽になります。

何故なら、なるかどうかもわからない状況で心配することって、とっても神経を使うし手間もかかるからです。

怪我をするかもしれない→ありとあらゆる危険を気にして目が離せない

風邪を引くかもしれない→体調不良の原因となるものを出来る限り排除しようとする

お漏らしするかもしれない→他のことをしている子どもの意識をトイレに向けなくてはならない

喧嘩をするかもしれない→子どもの言動を常に気にかける

勉強しないかもしれない→他のことをしている子どもの意識を勉強に向けなくてはならない

しかも、どれもこれも子どもにとっては口うるさく感じるものばかり、なので反発される可能性大。

嫌がる子どもに、まだ起こってもいない未来の心配が通用するかというと中々そうもいきません。

心配が先だって無理強いすると親子関係にヒビが入るかもしれません。

しかも、心配していることは全部「かもしれない」

そうなるかどうかわからないことです。

しかも、こちらが先回りしてあれこれ手をかけたところでなる時にはなってしまう。

となればこう切り替えてみてはいかがでしょうか?

怪我をするかもしれない→怪我をしたら手当をしてあげよう

風邪を引くかもしれない→風邪をひいたら看病してあげよう

お漏らしするかもしれない→お漏らししたら綺麗にしてあげよう

喧嘩をするかもしれない→落ち込んだり悩んであげたら励ましたり一緒に考えてあげよう

勉強しないかもしれない→やる気になったときに環境を整えてあげよう

テルはこの考え方に切り替えてから、子どもの心配をする時間がグッと減ってとても心が楽になりました。

そして、先回りしてアレコレと世話をするのをやめて、子どもが困ったと自覚した時に助けてあげられる縁の下の力持ちになることで、以前より子ども達が自分一人で挑戦する姿を見かける回数が増えてきました。

これはとてもよい変化ですよね。

でも、ここまで読んでもまだ心配だという方!

過干渉にならないための最大のポイントをお伝えします。

わが子を信じる!

さて、過干渉や過保護を語るのに切っても切れない関係にあるのが、心配という親心です。

けれども、心配をし過ぎる=信頼していないと同意ではないでしょうか?

子ども自身が持っている成長の力を信じずに、面倒を見てしまう。

これでは子どもは息苦しくなります。

下手したら自己肯定感が下がります。

そしてその結果、私の娘は不登校になりました(原因が過干渉だけとはいえませんが、関係していないことはないと思います)

だから、親は自分の子どもの生きる力を信じて黙って見守る。そして助けが必要だと頼られた時に一緒に考えてあげて、子どもには出来ないことを手助けしてあげる。

それがよいのではないでしょうか?

以前、私はYouTubeで「宿題をやれとは子どもに一度も言ったことがない、子どもも全然宿題をしなかった。けれども中高生になって自分でそれではダメだと気が付き、自分から勉強するようになって、その子がその後医大に入学した」といったような話を見たことがあります。

やってあげたり、促されてやるんじゃほとんどのことは中途半端にしか身に付きません。

子どもが必要だと危機感を持って考えて自分で行動してみる、その時はじめて子どもは本当の意味でその行為を習得するのだと思います。

わが子にも自分で気が付いて行動する人間になって欲しい。そんな思いを込めてテルは過干渉にならないようい努力中です。良い傾向はたくさん出ています。

参考にした本の紹介

今回テルが参考にした本はこちら。

タイトル:「過干渉」をやめたら子どもは伸びる

著者:西郷孝彦 尾木直樹 吉原毅
2020年4月7日 初版第一刷を小学館により発行

尾木ママで有名な尾木直樹さんも著者の一人であるこの本は、主に東京の世田谷区にある区立桜丘中学校と他の学校教育を比較して話が展開していくといった内容でした。

この区立桜丘中学校には驚きました。

校則もなければ定期テストもチャイムもない。でもってスマホの持ち込みはOK。廊下に椅子とテーブルが並んでいて、授業中でも廊下に出てきてその場で好きに過ごしていてもOK。

小学生時代に不登校だった生徒が居心地が良いからと言って自ら学校に登校しているとか。

インクルーシブ教育や非認知能力の向上に力をいれた、これまでの日本にはなかった新しい教育をこの学校は積極的に取り入れているようです。

そして、本書は一貫して過干渉(管理教育・同調圧力・教育虐待)を否定し、子どもが自ら考えて行動することの素晴らしさを説いています。

不登校にも触れていますが、どちらかというと今の日本の教育自体にメスを入れるとった感じ。

それでも、わが子を思うママにはとても参考になると思います。是非手に取って読んでみてはどうでしょう?

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